「中学時代は、不登校になりました」発達障害の栗原類さんが、子どもの頃に感じていたこと


栗原さんは、ニューヨークに住んでいた8歳のときADDの診断を受ける。小さい頃からADDの特徴である衝動性、知覚過敏、注意力散漫、記憶力の弱さ、こだわりの強さなどさまざまな症状があった栗原さんは、同じ頃に観た映画『ファインディング・ニモ』で何でもすぐ忘れるドリーと自分の共通点に気づき障害を認識。シングルマザーとして子育てしていた母・栗原泉さんと親子で発達障害に向きあう日々がはじまった。

日本に帰国後は、中学でいじめに遭って不登校になり、高校受験も失敗するなど苦難の時代もあったが、10代半ばからモデルとして本格的に活動開始。現在のようにタレントや俳優としても活躍できるようになったのは、コメディに開眼するきっかけを与えてくれた恩師との出会い、母の教育方針、日常生活における訓練などさまざまな理由があった。

ADDの特性とは何か。発達障害は病気ではなく「脳のクセ」。「早期に気がつき、環境を整え、正しく対処をすれば、ある程度の訓練で変わることができる」という栗原さんに、これまでの具体的な体験談について話を聞いた。

■ADD(注意欠陥障害)、栗原さんの毎日

——ADDの特性によってできなかったことも、工夫や訓練で少しずつできるようになって、たとえば靴紐は10代後半で結べるようになったそうですね。現在、朝起きたり身支度したりといった生活習慣はいかがですか。

朝は自分で起きています。早朝で始発の電車に乗らないといけないときも、スマホタブレットのアラームを3、4つセッティングして、念のためマネージャーさんにも電話で起こしてもらうので、大幅に遅刻することはなくなりました。

時間管理が苦手というのはADDの特徴のひとつでまだまだ苦労することもありますが、音楽ライターをしている母は夜遅くまで仕事することが多くて朝起きられないので、中学生ぐらいから自分で起きるようになりましたね。その頃から身支度もできるだけ自分でやるようにしています。